社会とは
6月も30日になり、一年の折り返し地点。いよいよ2025年後半戦に突入です。
今年の目標、自分を整える=自分の質を上げる=ワークの質を上げる、では、図らずも『やさしいライオン』に助けられました。
また、白黒ワークでは、当分選べない気がしていた「⚫️社会とはそういうものだ」の白パターン「⚪️もしかしたら、社会とはそういうものだと、もう決めつけなくてもいいのかもしれない」は選べるようになり、そこには広がりや明るさを感じています。
いかに自分が「社会」という枠組みを勝手に作り、そのなかで必死に戦って生きてきたかをしみじみと感じます。壮大な空回りだったな、と思います。でも、それがなければ、そのパターンに気がつくこともできなかったので、黒パターンのことはよくよく労ってあげたいです。
「白黒ワーク」をやっていて気がついたのは、「社会とはそういうものだ」と何十年も思い続けて生きてきたわりに、その黒の部屋は息苦しく、窮屈であるということ。そんな空間に居続けていたのか!と自分でも驚いてしまいました。パターンを信じて生きている時って気が付かないんですね。
もしかしたら、社会とはそういうものだと、もう決めつけなくてもいいのかもしれない。
社会とは。これから、新たにどう意味付けようか。考えます。