演技
「知らない、わからない、できないことはダメなこと」というパターンで生きていると、「自分は知っている、わかっている、できる」というパターンであったり、「自分はスゴイ」(能力が高い、上、優れている)というパターンも育つように思います。(自分の場合はそうでした)
それで、それがいつの間にか人格化して、大きなマントをひるがえすようなキャラクターが自分の中に住んでいました。パターンがひっかかって不愉快な気持ちになると、そのキャラが心の奥底で雄叫びをあげていることもよくありました。
道場に通い始めたばかりの頃(当時は「道場」ではなかったがー)、私は「なんでもこたえられる人になりたい」「やさしくありたい」と言っていたと先生からうかがいました。
暴君のようなパターンがありながらも表向きは、「やさしくありたい」、「なんでも答えられる人になりたい」と思っていたんだと思います。(そうすれば人が周りに寄ってきて自分がここにいるということが実感できるから)
今、思うと、やさしい人間、なんでも答えられる人間、器の大きな人間、何でも「いいよ、いいよ」と許すような人間、を演じようとしていました。
この「演技」は、内面を悟られないように、息をひそめて、まるでサランラップを身体中に巻いているように息苦しいものです。仮面をかぶった、上部(うわべ)だけの、表層的な人間です。今、周りを見ると、こういう状態の人はたくさん、います。
しかし、まぁ、、、昔はそんなでしたが、今では演技が必要なくなりました。自分ではないものを生きようとしなくなったのです。おかげさまで息苦しさはパターンに引っかかった時くらいで、日常は平穏です。