母的なものに「さようなら」する

母的なものに「さようなら」する

2024年05月03日 20:14

今朝、心の中でパターンが求めてきた母的なものに「さようなら」しました。(完全に「さようなら〜」ではなく、やってみたレベルです)

一生、手に入らないものであることが、どこかでわかっているんだと思います。

この「さようなら」には寂しさがあります。それは、母的なものを求め続けてきたこれまでの自分とお別れする寂しさです。

手に入らないものを求め続けてきた虚しさ、疲れもある。それと同時に、手に入らないものを求め続けている間は自立せずにすんでいた、という気づきもありました。

「一人ぼっち」であることから逃げ回ってきたんだ・・・ということにも気がつきました。こうすれば一人ぼっちにならずに済む!というふうにして社会に適応して生きてきたように思います。

これまでは、母的なものをあちこちに求め、それを求めている間は、「ない、ない」とそれを探し回り、それを渇望している間は自立せずに済んでいたんです。「ない、ない」と言っている間は、本来、元来「一人ぼっち」であることを引き受けずに済んでいた。

でも、いわゆる母的なものに「さようなら」するということは、味方や支えがないところで「一人ぼっち」であることを認め、自分しかいないと認め、そこで初めて、自分の足で立つしかない現実を、覚悟、勇気、やる気を持って受け入れるということのように思います。

そして、自分の足で立つこととは、「私」を主体に生きていくことに他ならないという考えに至りました。そこに合点がいきました。それが合っているのかどうかはわからないのですが、心の奥底から湧き上がってくるものがあるので、この感覚に忠実に進んでいこうと思っています。