根拠とは
今日は「根拠」について考えてみました。
わたしがコンサルタントをしていた頃、「根拠」と言えば、それは物事の裏づけや客観的情報といった、他人(お客様)を説得するための材料でした。
上司や同僚からよく「根拠は?どうしてそう言えるの?」とたびたび問われていましたし、お客様向けの資料には必ず、提示されている物事の根拠が記載されていました。当時は、そういうもの、でした。
今あらためて「根拠」について考えてみると、他人を説得したいとかそもそも思ってないのと、他人から根拠を求められることもないので、そういったこともあって意味合いは変わってきているようです。
新たな意味合いとして加わったのは「自分自身」「自分の哲学や感覚」というものです。これはふだんの語りかけや白黒ワークによって培われたものだと思います。
自己探求は、自分自身の感情や感覚を起点にします。自分自身と取り巻く事象との間を行ったり来たりします。自分の思い込みや信じ込みを選びかえるときも、どういう思いであれば自分が心地よいか、良い感じがするか、というふうに選びます。そうやって知らないうちに自分の内側にある感覚を磨いている、鍛えている、とも言えるでしょう。そうなってくると、よりどころとしての外部情報は不要になり、自分はどう思うのか、自分は何を選びたいのか、だけが頼りになります。自分自身が根拠になっているのです。
根拠の意味するところが外部の客観的な情報だった頃、私はよく本物は何だ?とキョロキョロしていました。この人は本物か?とか、この商品は本物か?とか、よく考えていました。その最大の理由は自分自身の自信の無さです。なので、自分が「信頼する」人が「本物だ」と言えば「本物だ」と思っていました。自分自身が根拠になると、もはやそうした疑問が湧かなくなり、自分自身でOKするようになります。この変容には何より安心感があり、落ち着きがあります。