普通のこととはどういうことか
一昨日の日記に、この学びが「普通のこと」になっていると書きました。でも、以前は「特別」でした。
このことについてなんですが、パターンというのはとにかく大袈裟に、「大したこと」として、すべてをドラマティックに、オーバーに捉えます。自分自身も「大物」だし、めちゃめちゃスゴイ人間だと思っています。パターン的に。
だから、この学びに関しても「特別」であってほしかったんです。自分が学んでいるものは「特別」。そこらへんの「平凡」で「普通」のものなんかであってほしくないわけです。そんなつまらないものをこの自分が学ぶなんてありえない。パターン的に。
ここへきて、この学びを「普通のこと」として受け止めているのは、自分自身が「大物」でも「めちゃめちゃスゴイ人間」でもない。ごくごく平凡な、一般人で、ありきたりの、普通の人であるということを認めているからだと思います。
ということは、
もう、いろんなことが「特別」である必要がない。特別でなくていい。
もう、いろんなことが「何か」である必要がない。何かでなくていい。
ということ。
このまなざしはいつの間にか培われていました。
いろんなことを特別にしたり、大袈裟にしたり、重大にしない。重さを持たせない。それゆえの「普通のこと」です。