日常生活
おとといまでの日記で、自己探求の賜物としての心・頭・体の変化について書きました。今日は「日常生活」について、書いてみようと思います。
わかりやすいところでは、私は本・服・モノなどたくさん処分しました。特に本は非常に多かったです。業者さんにお願いして買い取っていただきました。当時はすべてを自分と同一化していましたので、本によって自分を演出していたようなところがありました。「この本を持っていれば(読んでいれば)、他人は自分をこう見るだろう」と考えていたのです。私にとっては一種の武器でした。当時は闘ってたんですねえ。
しかし、こうした考え方をしているのは誰?と問えば、それは「本当の自分」ではなく、自分の「パターン」なのです。こういったケースは、他にもありますね。この服を着ている自分は○○だ。このバッグを持っている自分は○○だ。この車に乗っている自分は○○だ。この会社に勤めている自分は○○だ。このレストランに通う自分は○○だ。この人間とつきあっている自分は○○だ。こういったことで世の中(ビジネス)は成り立っているんじゃないかしら、と思うくらい、「同一化」は溢れ返っています。
自己探求を続けていると、日常に溢れているこういった事象を違う目で捉えるようになります。本、服、仕事、人付き合い、すべてにおいて、「それ=自分」と同一化する捉え方からは離れ、「それ=自分」と思わなくなります。私の場合「それはどんな感じがするか?」が取捨選択の主眼になって、結果、全体の数量は減りました。今は、シンプルで単純な日常生活を送っています。それが心地よい。「どんな感じがする?」で「気持ちよい。心地よい。清々しい。」を感じて、今はこう、ということかと思います。