手放す。
これまでの領域で得てきた「実績」は、次の領域には持っていかれないということについて考える時、「死」を思います。
人は死んだらお金とか家とか車とか、自分の大切な物をあの世へは持って行かれないですよね。ぜんぶ置いて行かなければならない。そのことを思います。
実は、、、このタイミングで思わず深く考えてしまう話を聞いたんです。偶然はないので、これは学びを深めるために与えられたギフトだと思います。
知り合いのヘルパーさんから聞いた話です。
このヘルパーさんは99歳のおばあちゃま宅に通っていて、ある日、おばあちゃまがぽつりと「いったい私はこれまで何をしていたんだろう?」とおっしゃったのだそうです。
大家族でかわいがられて育ち、結婚をして子供を産み育て、若い頃は仕事もされていて、周りからも愛されて生きてこられた。部屋にはお孫さんの写真がかざられていて、ふだんは大好きなスポーツ選手の切り抜きを熱心にされている。耳は多少遠くなったものの、健康でおだやかに生活されている。
そのように99年間生きてこられた方が、「いったい何をしていたんだろう?」と考える。その問いはとても深いです。
まるで時が止まったかのような問いではないでしょうか。心の奥から、あれ?今まで私は何をしていたのかしら?と目覚めたような、何かに気づいたような問いです。
ひょっとしたら、これまでやってきたことへの執着を手放した瞬間があったのかもしれません。
手放してみたら何も残っていなかった。そのことに気がついた。それで「あれ?いったい自分は何をしていたんだろう???」と自問した・・・。
このことは、「死」に際して、何もあの世へは持って行かれないということと重なります。
つまり、階段をのぼるということは一種の「死」であり、「解脱」なんだと思いました。
おばあちゃまは、「階段」を前にして執着を手放すことに気がつかれたのではないでしょうか。
そしてひょっとしたら、後悔や虚無も体験されたかもしれません。でも、そこで気づかれたところに、その先をさらに生き続ける「魂」がもたらす希望も感じます。
さぁ、実績への執着を手放して行こう。