情報の洪水を生きる。
メディアを鵜呑みにしないほうがいいかも、、、という話題で思い出したことがあります。
わたしが子供のころ、家では朝日新聞と日経新聞をとっていました。で、たしか私が小学4年生か、5年生だったとき、わたしは、朝日新聞で目に留まった記事が日経新聞にも載っていたことを発見します。
へえ…と思って読んでみると、出来事は同一であるはずなのに、書いてあることが違ったんです。朝日に書いてないことが日経には書いてあった。記事の文字数も日経の方が多かった。こんなことがあるのか~!と私は驚いて、子供ながらに、できるだけ色んな新聞を読んだ方がいいんだな、と思いました。
その後、大学で「映画」に関する講義をとったり、個人的に写真の専門学校に通ったりする中で、「画面」が与える印象を学びました。
例えば100人の人を画面いっぱいに映せば「こんなに人がいる」という印象になりますし、同じく100人の人が大広場に集まっている様子を遠くから撮れば「これしかいない」という印象になります。同様に一人の人物をクローズアップで撮る、下から仰ぐように撮る、上から撮る、それぞれの場合で与える印象は異なります。
といったことから、ニュースのような「事実」も恣意的に創作できることを学びました。
そして今日。かつてこれほどまでに情報があふれていたことはない時代で、多くの映像、記事、コンテンツが氾濫中です。
そんななかでわれわれは、自分の中の感情や感覚の世界を生きています。目の前のリアルな人や物事を、ゆがみなく、ただあるがまま受け止めるべく、パターンと向き合ってきています。
なんだか世の中とは逆方向に進んでいっている気もしますが(笑)、だから情報に溺れることなく、平常心でいられているのかもしれない、とも思っています。