山門は三門
盛岡で、宝鏡山清養院というお寺?の前を通りかかると、リニューアルしたばかりの「山門」が目に止まりました。
脇には、山門は三門に由来するという解説がありました。
空解脱門(一切の姿形は空)
無相解脱門(比べるものは何も無い)
無作解脱門(何も無いものに望むことなど出来ない)
お寺の山門にはこのような意味があったのか!そーなのか!!としばらくこの宇宙観に衝撃を受けて、山門の前というよりは、この案内板の前で呆然となりました。
だって、「全ては形あるもの。物事は比較において成り立つ。そこにあるものは全て望む。」というのが自分のこれまで生きてきた世の中ですから。こういう教えが古くからあるのだから、現代においてはある程度、こういうことをベースにして生きていてもよさそうなものなのに、どういうわけだか「そうではない」ことを徹底して生きるところに、人間の未熟さや愛らしさを感じます。また、三門がわかっていたら生まれてきてないだろうとも思うので、学ぶために生まれてきた自分をあらためて確認することにもなりました。
お寺の前の道には数本のヒメシャラ(大好きな花)