咄嗟の時
咄嗟の時って、人は素が出るんだなという体験をしました。
先日、職場で昼食をとろうと思ってエレベーターで1階まで降りたんです。すると、同僚がたくさんの荷物を抱えていて(色々積み上がっていて今にも崩れそうなほど)、これから職場に戻ろうとしていました。
エレベーターのボタンも押せないほどだったので、私は降りてきたところではありましたが、一緒にオフィスのフロアまで戻り、出入り口にカードキーをかざして扉をあけて、その人を事務所に入れてあげました。
途中、何か持とうか?と声をかけながら。でも、扉を開けてほしい、ということだったのでそのようにしました。
(ちなみにその人は、「自分はテンパっている時には誰にも挨拶はしない」とかつて私に教えてくれた人なので、以来、私は自分から話しかけることをしないと決めています。)
今回も相手は一切御礼を口にしませんでした。(テンパっているからでしょう、そういう人、なのです。)かといって、私の中に引っ掛かりはなく、スッキリとしてました。思いと行動に一貫性があったからかもしれません。
もし、「自分からは話しかけないぞー」とそのまま通り過ぎていたら、私はきっと心苦しかったと思うんです。それはふだんから私が思っていることではなく、対処策としてやっていることだから。
人間って咄嗟の時は(パターンが考える間もなく)、見返りも求めず、素が出るんだなと思った出来事でした。
それから、もしかしたら〜〜〜ともう決めつけなくてもいいかもしれない。という白パターンを選ぶことで、少しずつ心の中に柔軟な感覚が生まれ、日常に広がりをもたらしているのかな、とも思います。
9月に入り、いきなり忙しくなってきてます。潮目が変わりました。今日も、もしかしたら〜〜〜ともう決めつけなくてもいいかもしれない。。。。。このモードで行って参ります。