分析は当てにならない。
最近自分は他人のことをあまり見ていないのかも・・と感じました。
そう言うとちょっと違うのかな・・。今日、元気そうだな!とか、あれ?大丈夫かな?顔色があまりよくないな・・とかそういう部分では見ています。「どんな感じがするか」というところでは見ているということかもしれません。
無意識に他人のことを考えている時というのは、ほぼほぼパターンに引っかかった状態であるときなので、そういう時には、他人の言動を思い出して(他人を見て)、パターンの気持ちを整理しますが、見ているのはあくまで自分のパターンです。
自分のパターンが他人を見ているとき、たとえば「あの人ってこういう人・・」など、他人に関する分析やジャッジは、自分のパターンが言っていることであって、それは、たぶん当たっていません。そのあたりに客観性をもたせるべく、性格分析みたいなものもありますが、それ自体がパターンで作られていたり、回答する側もパターンで答えるでしょうし、その結果分析もパターンが行なうので、相当な歪みが生じることが想像できます。
人間関係がうまくいくようにしたいのであれば、他人を知ることよりも自分を知ることです。自分のパターンを知ること。そこから、です。自分がどのようなパターンを通して人を見ているのか?そうするとパターンによる分析やジャッジは「ハズレ」ている、当てにならないことがよくわかるので、以降はそういう目で他人を見なくなり、新たな関係性を人と築くことになります。
私自身のことも先日言及されました。「あなたはこういう人ですよね」と。あえて否定するまでもないことだったのでそのままにしておきましたが、自分では「え?そうなの??・・」って思いました。それはかつての自分であれば喜びそうな、パターンが満たされる “見立て” でしたが。そういうことです。分析は当てにならない。