処理能力
久しぶりに頭のエンジン、フル回転の1日。
最初は小刻みに、それから思い切りアクセルを踏んでぐーんと進んでいく疾走感、嫌いじゃないです。以前はこれをゲームのようにして楽しんでいたことを思い出しました。
それで、これって処理能力だな、その速度を楽しんでいるんだな、と思いました。
実は先日、AI(エーアイ)のデモンストレーションを見たんです。膨大な量の議事録(会議での会話)を、瞬時にその概要とポイントとなる項目に変換する。たぶんですが、経験則・実績から予測したさまざまな状況に合わせて、適切な情報を一瞬で生成することもAIにはできるハズです。あたかもAIが考えているかのように。これは、コンピューターの処理能力です。
この、「処理」が、味わいがないんです。。。確かにすごいんですよ、一瞬ですし。でも、そうやってAIが示しているものって一体、何でしょう?会話がそうやってまとまった形になる時点で、会話自体が無味乾燥な感じがしてしまうのはなぜ?
AIが押さえたポイントは、本当に会話の中でポイントだったのでしょうか?心象までもが「処理」されたのでしょうか?
「一瞬で完了する」「時間がかからない」という体験が長じると、どうなるのか。
「処理」はAIに任せて、その分、人間は熟考に時間をかけよう、となるといいなぁ、と思います。
それで自分もまた、パターンと向き合うときなど処理的に能力をつかってはいないだろうか?ひょっとして処理的に「語りかけ」の文言を作ってはいないだろうか?だいじょうぶだろうか?と反省しました。
パターンの声に耳を傾けるのも、「今の自分は〜についてどう考えるだろうか。」というように、問いを頭や胸のあたりで転がしながら考えることにも、深さや味わいがあります。
じっくりと考えることを通して、哲学を味わい、奥深さに触れ、本質を感じよう。そういうことを楽しむように能力を使おう、と思った次第です。