アイデンティティが希薄に、、、
自分の中に占める他人のサイズが小さくなった、と昨日の日記に書いたのですが、これはやっぱり自分自身のことを大きく捉えすぎていたパターンがだんだん落ち着いてきた中で、等身大の、そのままの自分や、自分を取り巻く物事を知り、そのままを認められるようになってきたことが影響しているのだろうと思います。
何者かであろうとするパターンが癒やされていって、自分が自分だと思っているものを一つ一つ剥がしていった結果、「自分はこういう者である」というアイデンティティが希薄になり、ただ「ある」状態に近づいていっているんじゃないかと思います。
その過程での特徴的なこととして、「NOT 〜」(〜ではない)ということが挙げられます。
パターンは、広大な宇宙にただようひとつの塵です。「〜ではない」というのはつまり「パターン以外のすべて」です。「〜ではない」を繰り返しながら、気がつけばパターンも含めて自分、他人、あらゆる物事と一緒にただよっている。
アイデンティティもそうですが、自分の考えや、やっている事など、いろんなことを決めつけてしまわず、ふわっとしたままにしておくことが今の自分には合っているようです。
これって、自分があれほど苦手だった「曖昧」ではなかろうか?それは「カオス」(混沌)でもあります。しかし、宇宙の秩序・ルールがそこにはあるので闇雲なわけではありません。自分の選択は感覚においてのみすればよいだけ。
どこまで行っても自分たちは宇宙の掌の上に転がされ、必然を生かされているのだと思います。