わかりあえなさ
先日、21_21 DESIGN SIGHT「トラNsれーショNs展」へ行きました。
不思議なタイトルですよね。ここになんと、私の脳内が展示されていました!
これです・・(男性は展示会のディレクター:ドミニク・チェン氏)
これは、この展示会のディレクターからのメッセージ(の一部)で、一つの文章に英語、フランス語、日本語(あと、台湾語??)が混在しています。これを見たとき、ウワーーーッ!(拍手)と思ったんです。なぜかというと、私の脳内もこうなるからなんです!!・・と言っても最近はフランス語や英語を使う機会が減っていて、ここまで激しく混在はしてませんが、しかし、フランス語や英語を使う機会が続くと、私の脳内は間違いなくこうなります。
私は英語とフランス語ができる人とは franglais(françaisフランス語 + anglais英語)を話しますし、日本語が少しわかるフランス人とは、フランス語と日本語を混ぜて話します。ワザと新たな単語を作って遊んだりもしています。
この展覧会は「わかりあえなさ」からスタートしています。それぞれの言語で何かを言い表そうとするとき、必ずしも、そのままを伝えられないことは私の場合、よくあることで、非常に中途半端なコミュニケーションにならざるを得ない気持ちの悪さ、フラストレーション、あきらめはたびたび体験しています。一方でぴたりと言いたいことを自分で言い当てることができない中に、「余白」を感じてもいます。
それはきっと、どの言語でもあることで、しかも、自分としてはぴたりと明確に伝えたつもりでも、受け手側の理解まで関与できないですから、他者とのコミュニケーションで一体どこまでわかりあえているのかは疑問です。その逆で「わかる〜!」と思うようなことでもそれは100%その通りわかっているわけではない可能性も。
ドミニク・チェン氏は、人はありとあらゆるものを普段から「翻訳」していると言います。そこにはミームやパターンも含まれているでしょう。「わかりあえなさ」というのは、他人にわかってもらえなくても、それでも自分は存在している、他人に理解されずとも生きていかれる、そんな自分への伏線かもしれません。