よくわからないという体験
「語りかけ」の中に、なんだかよくわからない中でやっているんだから手加減してほしい・・・というパターンの思いが出てきます。
この、「なんだかよくわからない」というモヤモヤしたものが、私はこどもの頃からあって、実際、幼少期「よくわからない」とよく言ってました。
何を聞かれても「よくわからなーい」と答えるこどもでした。
あまり理解力のないこどもだったのか、大人たちが聞いていることが何なのか、わからなかったのでしょうか。こどもとしては、大人からたずねられることとはまったく違う体験をしていた可能性もあります。
何かをやるときも、何だかよくわからないけれども、とりあえずやってみましょう。やりながら学んでいきましょう。見つけていきましょう。と思っていることが多いです。
そんな矢先です、たまたま読み始めた本に、「わからない」ということについて、こういうことが書かれていました。以下、抜粋します。
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コノ世で人類が体験している、先が見えない・わからないという状態は、ほんとうは超貴重で稀有なことであり、他の次元には有り得ない状態だと感じます。
アノ世では、どんな魂でも「リピート再生するパターン」を思い知っている状態です。コノ世で「自分がした行為」をアノ世で無限に再体験しますから、次の展開パターンをすでに知っています。それでも、毎回同じところで悶絶し、あるいは喜び、怒ることを自分で再体験します。
もうこんなことを繰り返すのはイヤだと思えば、自分が貯めた善徳貯金に合わせて生まれ出る環境を自分で選択し、コノ世に生まれ出て再レコーディングをするしかないのです。ということは、先が見えない状態の中で右往左往する私たちとは、アノ世で転写を起こす「原版」を今まさに作成中だと言えます。
谷川太一著・釈尊の言葉(第1巻 P.34)より
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「もうこんなことを繰り返すのはイヤだと思えば、自分が貯めた善徳貯金に合わせて生まれ出る環境を自分で選択し、コノ世に生まれ出て再レコーディングをするしかない」
このように生まれ出てきた、今生の人生。コノ世で「自分がした行為」をアノ世で無限に再体験しているとしたら、私はいったい何を無限に再体験して、何の繰り返しを終えたい、、と思っていたのでしょうか。
アレでしょー、それから、アレでしょー、と自分の強いパターンから、いくつか思い当たりますがーーー
先が見えない・わからないという状態は、つまり未来や繰り返される結果が決まっていないということですから、ここでこれまでの魂の記録を書き換えて、今生を全うしたいものです。
一つ一つ向き合い、ケアして、選び替える。新たな記録を書き換える術を学んでいる今生の自分はそれをしなければならない。そうじゃないとアノ世でめっちゃ後悔する!魂の兄弟たちから、あそこまで学んでおきながら何で〜?!と責められちゃうかも?!責任重大だー。がんばろう。