なぜ、、、やめられないのか?
5月末に開催された、魂の道場・茅ヶ崎クラスのオープンセミナーの会食の席で、「なぜ、《魂の道場》をやめられないのか?」という問いがTさんからありました。
私は、その問いに、ギクッとなりながら考えていました。いつもより数倍きれいに盛られている中華料理を前に・・・
そのときは、まず、やめたいって思わないから、やめられるとかやめられないとか、そもそも考えないかなーということと、もやもやしたものが明らかになって・・・の繰り返しが面白いからやめられない、というような、今の自分にとっての学びの面白さを話したと思います。
それで、オープンセミナーから2週間以上が経ち、あの時に、ギクッとなったのはなんだったのか、なんのパターンだったのか、と考えました。
すると、その問いを胸に “つきつけられたように” 感じたということ、自分の学びへの姿勢に水をさされたようだったこと、自分の学びへの好奇心を汚されたような感じがしたこと、なぜ学び続けているのか、それはパターンなんじゃないのかとジャッジされているような感じがしたこと、などがわかってきました。
Tさんは問いかけただけなので、あくまで私のパターンの問題です。
そしてそこには、ただ楽しく学んでるだけのこの自分を肯定してほしい、ただ認めてほしい、純粋にやってる自分に問題提起をしないでほしい、というパターンが浮かび上がってきました。
ま、自分の思う通りに自分を扱ってほしいっていうパターンですね。(結局そこ!)
このパターンにとっては、その問いがひっかかるもので、悲しく感じ、寂しく感じ、泣きたい気持ちになった、、、ということが、わかりました。
これはこれでケアしていきます。
で、それはそれとして、なんですが、自分が夢中になっている物事について「なぜ、それをやめられないのか?」と自問することは、自分にとってそのものは何なのかを考える、すごく良い問いかけだと、今回、思いました。
Tさん! ありがとうございました! これ、読んでるか、わからないけども・・・。