楽だから。
私たちは無意識のうちに自分の苦しみを「他人のせい」(何かのせい)にして長らく生きてきているので、気づけば他人に自分の扱いを求めているものだと思います。
他人のせいにどうしてしてきたのかというと、そもそも自分は正しく生きていると信じているからです。家の言いつけ、学校の規則、社会のルールを守って、多少の反抗やイタズラ程度の悪事ははたらいたにしても、基本的には何一つ間違ったことをせず(道を外れず)生きてきたから。あとは、他人から自分は優れていると度々言われてきたからというのもありますね。そんなこんなで、自分に責任があるとは到底思えなくて、諸悪の根源は他人以外にありえないと思っていたのです。
自分は正しい。相手は間違っている。彼らは過ちを正すべき!こういうふうに私は思っていました。しかも、かなり強く。
では、そこまで他人のせいにして他人を変えたかった私がどうしてそれをもうやめようと思ったのか。
それは、他人を変えようとしたり、変わるのを期待したりするより、自分自身を変えたほうが早いし、楽だから。
これにつきます。
そのほうが人間として上だからとか、意識レベルが高いからとか、成長したいからとか、そういうことではなく、ただ単に楽だから。
自分を変えていこう、自分自身が変わっていくことでより楽に生きていこう。そう決めたとき、自分の中の何を変えていけばいいんだろう?と考えるので、他人を糾弾しているのは自分の中の誰なのか(何のパターンなのか)、そこと向き合うことこそがやるべきことだと見えてきます。
そう考えるようになって「他人のせい」から徐々に離れていくことになったのだと思います。
と言いつつ、今でもあります、他人に甘えるパターンが。
でも、その一つ一つに向き合っていくことが、私を未来へと導いていると思います。向き合うことが私の進む道。