つぎましょうか?
ああ、、、私(パターン)は寂しさを抱えているんだ。。。と心の隅っこのほ〜〜〜にある感情に気がつきました。
「この自分を認めてほしい」というパターンの、原始的なところでは、自分という存在に対しての反応(リアクション)がほしいと思っているフシがあります。その寂しさを埋めたいんですね。
この間、茅ヶ崎のグループでビジネスホテルに泊まったのですが、自分の気づきにつながる象徴的な出来事がありました。
朝食の時、オレンジジュースをコップに注いでいたんです。
わたしのすぐ横には、コップを手に持って、私が注ぎ終わるのを待っている人がいます。私はその人に何気なく「つぎましょうか?」とジュースの入ったピッチャーを少しかかげて、たずねました。するとその人が、「あ、いいですか?(スミマセン)」と少し恐縮したようにコップを差し出し、私はオレンジジュースをつぎました。
わたしは、このあとで朝食のトレーを持って席に着いたとき、「なぜ、ああいうことをしたのだろう?」と考え、自分の中で起きていることをよ〜〜〜〜く観察しました。
これは「つぎましょうか?」と言っている時点で、私のパターンとしては「そこにいる自分を認めてほしい」と思っているんだ、と思いました。
それから少しして、同じホテルに宿泊しているグループ仲間のAさんが現れました。Aさんはそこに並んでいたティーバッグに目をやりました。その様子を見て私は「あぁ、書いてある字が見えないのだろうなぁ」と思いました。
そこでふだんの私なら、4つ並んでいるティーバッグに何と書いてあるか、伝えたと思うんです。でも、それはしませんでした。なぜならば、私は「自分という存在」に対しての反応がほしくて(自分が抱えている寂しさを埋めるために)それをやっているのかもしれない・・・と気がついたからです。
2日目のグループでこの話をしました。
その時、自分のその感情を決定づけることが起こりました。
「ティーバッグに何と書いてあるか、伝えていたと思うんです。でもそれはしませんでした。」と伝えたとき、Aさんは「うん、別にいいよ。だってメガネかければ読めるし。」と言いました。ここで胸の奥が「チクッ」としたんです。
寂しさ。。。自分は必要とされていない。自分なんかいなくても別にいいんだ。
自分がここにいることを認めてほしいパターンが動いた瞬間でした。
(続きます)