メッセージを込めずに
とある決めつけに気がつきました。
それは、「娑婆の人にはわからない」です。この話をしても相手には通じない。たとえ、相手が「わかった」と言っていてもそれは相手の理解であり、全くわかっていないことがわかる、自分の発言で場が一瞬「??」となる、、、そういった体験から生まれた決めつけ、パターンです。
一方で、このところの人とのやり取りのなかで、自分のことをわからせたり、わかってもらったりする必要は皆無であるということの平穏も感じています。
「自分はすごいんだぞ!」というパターンからすると冒頭のような状況というのは、「ほーら、やっぱり自分はすごいんだ!」というようにパターンが満たされるところがありますが、今はそのパターンも落ち着いてきて、共にあれるようになってきているので、そういう状況になりそうな時は「私」がそのことに意識的であれます(したがってそのパターンを満たしにかからない)し、心の中は平穏です。
あぁ、、、自分は相手の言動に応え、相手が必要なこと、求めていること、やるべきこと、自分がやる選択をしたことをただやるだけだ、、と思いました。そこに、こう思って欲しい、こう言って欲しいと他人に求めたり、自分は優秀なんだ、自分はデキる人間なんだといった「メッセージ(意味、価値、思い、黒パターン)」を込めずに「ただやる」。そのなんてシンプルで軽やかなことか!
さて、明日からは魂の道場・茅ヶ崎クラスです。
いざ、道場へ向かわん!