そこまで自分を見ていきたい。
道場仲間との今年初の勉強会で、「切り込む」というキーワードが出てきました。お互いに「切り込み、切り込まれ」していこう!ということで今年も切磋琢磨です。押忍。
この「切り込む」ということですが、これは私にとっては、「心の中に入っていく」という表現が近くて、基本的には自分自身にやっていることを、道場仲間との学びの場やカウンセリングなどでやっています。(ふだんの会話ではやりません。)
自分自身に何をやっているのかですが、パターンと向き合う時に、「それって、こういうことなのかな、、」とか「だとしたら、こういうことを思うんじゃないかな、、」とか、問いかけながら、中へ、中へ、入っていっている感じです。心の中へソロソロと降りていっているような感じもあります。
「切り込む」って言うとちょっと「イキナリ感」がありますが、それは、切り込まれた側が抱く印象かもしれないです。私の場合は「切り込む」感じは無くて、中へ中へと入っていった時に、それってこうなんじゃないのかな?と心に浮かんだものを言う、ということをやっています。
それを言われるほうからすると、予期せぬことを明るみに出されて「えっ?」となるかもしれないし、図星だったためにグサッとくるかもしれない。そこで「切り込まれた」と感じるものかもしれません。パターンがあることを認めたくないパターン、パターンを覆うパターンがあれば、そこが騒ぐこともあるかもしれない。
でも、そこまで自分の中をしっかり見ていきたい。
だから、本質的なところを長きにわたって共に探求してきている道場仲間とは、心の中を「切り込み、切り込まれ」していきたいです。