そこに気づく魂
今回の勉強会は、富士山が望める会議室でした。
昨日は、電車からもたいへんよく富士山が見えました。白い富士山は青空によく映えます。
われわれの勉強会も、よかったです。
まずはWさんがお話しくださり、結論から言うと、私はホッとしました。Wさんの、つきものが落ちた、自然でやわらかな表情、どことなく心細げな眼差しがすべてを物語っていました。
「後悔」の意味づけをみんなで出し合いましたが、「後悔先に立たず」と言うように、後悔って前もってするものではないです。前もって後悔ができていたら、どんなにか数々の過ちをせずに済むことでしょう。
やらかした、そのあとで気がつく。
で、この「気がつくかどうか」がポイントだと思ったんです。
つまり、なんらかの行動をして、それでパターンが満たされ、なんの違和感もなく過ぎていくとしたら?周りから羨ましがられたり、祝福されたりしながら、そのまま普通に人生を送ったとしたら??
気がつかないでしょう。自分を見ていないから気づかないのです。それがパターンなのかさえ分からない。これがほとんどの人の人生です。場合によってはこれが多くの人にとっての「幸せ」ということにされているかもしれない。
が、しかし、、、われわれは、道場で何年も学んでいるからだと思うんですが、ちゃんと気がつく。気がつくための何かが与えられる。それは、ネガティブな感覚だったり、パターンにひっかかる出来事だったり、何かが起きて、それで気がつく。
私は約2年前に突発的な体調不良を経験しました。それにより、「できない」という体験をし、身をもって、「できないのはダメではない」、「できないは、単にできない」それだけだと知りました。この体験は、この私に気づかせるためにもたらされたと思っています。この私がそれを理解するためには、その突発的な体調不良以外にはなかった。
また、昨年、「自分はできている」というパターンに気付いたのは、共に学ぶ仲間たちの哲学の発表の時でした。いかに論理的に発表するかにとらわれていた私でしたが、みんなは素直に正直に自分の言葉で発表していて、それで、気づいたのでした。
この体験は「できる・できない」という価値の領域に居座り続けていた私に、前年の体調不良では不十分だったことが補講のように与えられた出来事でした。
あ、、、違った!と。 うわーーっ!何やってんだ自分と責めたり、まったくできていない自分に恥じ入ったりしました。
でも、それはパターンだから・・・パターンに気づいたらどうするの?・・・やることは決まってます。
出来事の大小とかタイミングとかは個人差があると思います。でもそれも含めてのセッティングではないでしょうか。それぞれの課題に合わせて寸分の狂いなくカスタマイズされた恩寵です。今生でしっかり魂を成長させるべく、個性も含めてセッティングし、生まれてきているんだと思います。
そこに気づく魂として。