「私は元気だ、健康だ」
週末、昨日は魂のメンテナンスでした。〔魂の道場〕で受けた個人セッションで、「自分への執着」について考えました。
私は子供の頃から元気で健康だったので、言ってみれば「私は元気だ、健康だ」という健康への執着・黒パターンを生んでいて、このところの体調の変化は、正直、「不快」です。
「私は元気だ、健康だ」というパターンはこれまでの自分の経験から作り出されたパターンで、知らないうちに健康に執着して、知らないうちにそういうパターンを生んでいたことに気付かされました。
「私は元気だ、健康だ」でずーっときた・・・と、いうことは、その反対側の「私は元気ではない、健康ではない」が欠落していて、魂的にはバランスがとれていない状態にあったということです。
自分自身の健康を過信することなく、ありがたいことだと思って生きてきましたが、ずっと健康であることがアンバランスさを生むこともなんとなく分かります。
健康というのは、誰もが “良きこと” と思うもの。しかし、ただただ健康であればよいのかというとそうではない。
生活に支障はないですが、以前のような元気さはなく、日々新たな体調に意識を向けながらの生活は、これまでの自分自身のあり方を変えました。
こういうことにならなければ、この体験を次に活かしていくんだという意志や、自分や他者を慈しむ心や周囲への「有難うございます」という気持ちも、物事にゆっくりと取り組もうというスタンスも芽生えることはなかったでしょう。謙虚な心持ちになったように思います。
「健康」という、一見「白的」なものも、偏りが大きいと、知らぬ間に執着となり、「黒的」になるという学びでした。
こうしたことから、自分の魂は、白・黒の両方を体験し、バランスを取り、そこを超えていこうとしているんだな、ということが見えます。「健康である/健康でない」の両方をバランスよく体験することが、魂にとって健康的なことなんだと思います。