「母親」がほしいというパターン
パターンは、いわゆる「お母さん」がほしいとずっと思ってきました。このことと今、向き合っています。
「自分が思うような母親であってほしかった」、「理想の母親であってほしかった」など、これまでも母親に関するパターンはさまざまに表現されてきましたが、いま、もっともしっくりくるのは、「母親」がほしいとずっと思ってきた、というものです。
大人になってから、社会人になってからも、周りに「お母さん」を求めていて、我ながら驚いたのは、自分のパターンが他人に対して腹を立てているのは、「母親」に満たしてほしかったのに満たされなかったこと、そのものだったのです。
例えば、自分が大変な思いをしているときに味方でいてくれるとか、自分がここにいることをわかってくれているとか、自分の考えややってきたこと、やっていきたいことを全面的に応援してくれて後押ししてくれるとか、自分に対して興味関心を抱いてくれるとか、自分のことをまるまる理解してくれて、真剣に関わってくれて受け止めてくれるとか。
正にこういったことを「母親」にずーーーっと求めていて、他人にも求めていた、ということが明らかになりました。
なので今はこのパターンへの「語りかけ」をしています。ここが癒されてくると、「母親」を求める自分のパターンを満たしてくれない言動をする他人にひっかかることは軽減されると思います。
そして「私」も、もう、わかっています。自分は、「味方」や他人の応援・理解・関心・受け止めなどを必要としていないことを。
ただ、幼い頃からの習性・惰性でそのように生きてきたので、そのあたりは、「黙りなさい」「私はそれを必要としていない」を意識して他人と(母親とも)接することを心がけます。