「曖昧なものが苦手」というパターン
昔、「そうかもしれないし〜、そうじゃないかもしれないし〜」とことあるごとに言う人がいました。
わたしはそれを聞くたびに、「なんなんだ、はっきりしろー!」と心の中で思っていたし、めちゃくちゃイライラして、すごく苦手でした。気持ちが悪い。「いったいなんなの、この人」って腹を立てていました。
私自身は「どっちでもいい」と言うと「どっちでもいいと言ってはいけません。どちらなのかを言いなさい。」という家で育っているので曖昧さにも慣れていない。あと、社会人になれば、曖昧さは基本的に許されない。
そんななか、先日、魂の道場で配られた、苦手な文章で書かれた資料をあらためて見てみると、あーーーこれが苦手なんだ、、、と思いました。曖昧なことが曖昧なまま書かれているのです。
曖昧なことを曖昧なままに、とらえどころのないものはとらえどころのないままに。それが、苦手。「曖昧なものが苦手」というパターンなんだと思います。このパターンは「曖昧な現実」を受け入れられません。
曖昧さの何がいやなのか。はっきりとしないところとか、すっきりとしないところ、かな。
感覚的にはウーーーッてなります。
思わず首をすぼめて両手で耳をおおってしまいたくなる感じ。それくらいの鬱陶しさがある。
パターンなので、ケアします。