「他人と関わるのが嫌だ」というパターン
「他人と関わるのが嫌だ」というパターンと今、向き合っています。
これまでの「人間関係」の経験から、このパターンが生まれ、それをずっと持って今日まできました。
人間が持つ最大のパターンは「自分の思い通りにしたい」ですが、この世の中でもっとも思う通りにならないのが「他人」だと思います。パターンとしては、だから、他人と関わりたくないのです。
どうせ自分の思い通りにならないんだから、関わらなくていいよね、ってパターンは思うわけです。他人と関わることが嫌になったのは、その「めんどくささ」から。「あー、めんどくさっ!」と心の中で思ったのを覚えています。
私はそれがきっかけで仕事に邁進するようになった気がします、結婚ではなくて。パターン的にめんどくさい人間関係の最大のものが、「結婚」だったように思います。
「他人」は、自分が思うようには自分のことを扱わないし、わずらわしいし、めんどくさいし、何ひとつ、自分が思うようにはならない、とパターンは言います。感覚的には息苦しさや、重苦しさがあり、疲れます。
他人とは? その意味づけを考えると、
(+)自分のパターンに気づかせてくれる 自分を知るきっかけを与えてくれる 出会いはセッティング 与えられているもの 恩寵
(0)ただ一つの体験
(ー)パターンにひっかかる 振り回される 依存 支配 言いなり 息苦しい めんどう 自分の自由に、思い通りにならない存在 自分のパターンを満たすために利用する相手
「他人」の意味づけのテッパンは、「自分のパターンに気づかせてくれる」だと思います。そしてあらゆる人との出会いは「私」によるセッティングです。その目的は、ミームアップ。魂の学びです。
白黒ワークでは、「他人への意味づけを更新してきたでしょう?」という「白」を語っています。これはほんとにそうだな、って思います。
思えば、これまでの「他人」に関わる多くのパターン(というか、ほぼ100%が「他人」と関連するものだ)を通して、「他人」の意味づけを更新してきています。そうすることで、他人との関わり自体も移り変わってきていると思います。そうして紡ぐ新たな人間関係において、「他人」はめんどくさいものというよりも、宇宙から与えられている出会いだと思います。さぁ、学べ!と。