意識的って疲れないですか?
先日、「何か一生懸命にやっていらっしゃることはありますか?」と聞かれたので、「あります。自分と向き合ってます。」と答えたところ、噴き出されました(笑)
私にそれをたずねた方は「テニス」とおっしゃってました。
その後、自分と向き合うことについて少し説明した際、「私はできるかぎり意識的であるように心がけていて、いつも自分の中を見るようにしています。」とお話ししたところ「意識的って疲れないですか?」と問われたので、「全然疲れないです。ここ(胸のあたり)を使っていて、頭は使ってないので。主に見るのは感覚・感情です。」と胸をトントンと叩きました。
こうして話をしていて気が付いたことがあります。
それは、一般的に人は相手の話を外側で受け止め、そのまま返して、まるで反射する鏡のようであることです。中に入っていかない、自分の中に入れない、入れようとしない。だから表層的でツルツルした感じがするのかも・・・と思いました。
中に取り込まないので熟考はないし、私が言うことも情報として頭の中で検証し、振り分け、分析処理してその場ですぐに外に出す。私がやっている「自分と向き合う」ということは、「認知行動療法だ」とその場ですぐに分析され、おっしゃっていました。
感情・感覚を見るという話題で、その方は一瞬だけ、自分のそれを感じようとされて目線を自分の中に向けておられましたが、すごく苦しそうでした。私もそうでしたが、感情を見ることが苦手で、ずっと「思考」で生きてこられているんだと思います。
そしてそれはもしかするとですが、そのようにして必死で自分を守っているのかもしれないな、と思い至りました。