心の回路を拓く
思考で対処することが当たり前だった当時、私は自分自身(のパターン)と向き合えるようになるまで、思考での理解を止めていました。多分、3〜4年は止めてたんじゃないかなと思います。
いくら思考しても理解が全くできず「わからない」ことがもやもやして気持ち悪く、それがす〜ごく嫌でした。わからないという状態にい続けることが苦手でした。この10年ほどで「ま、いいや、いずれわかるときがくる」とか「今は、わからないです。」という心持ちになれるように、なってきました。それまでは、わからないことは解を求め、知識を得て、理解することが常だったのです。
心の学びは、自分自身の体験が先立ちます。体験による理解が尊いのです。だから、いっくら自分が頭が良くて、高速で動く思考回路を持ち合わせていたとしても、正直、思考優位の頭の良い人で、尚且つ頑固な人は要注意です(=自分のこと)。不幸なことに、取り入れた情報が自動的に思考回路へと仕分けされていって頭で理解をしてしまうからです。
とにかく感じようとする。わからないことを受け入れる(わかることができない自分もよしとする)。素直になる。参った!と降参する。自分を真の学びから遠ざけている自分自身のパターンに気づく。こういったことがとても大事だと私は思います。そうすることで心の回路は拓かれていきます。
ちなみにですが、思考での理解も大事です。それは不要です、という話ではありません。ただ、それだけだとダメです(断言)。なぜダメなのか。学びが外側にあるままになってしまっているからです。学びは内側のものとする必要がある。そこでポイントとなるのが体験を通しての理解、学びということです。