咳ひとつ

咳ひとつ

2020年04月13日 07:42

先日、スーパーでちょっと、空咳を「ケホッ」としました(マスクは着用)。
そうしたら、2mは離れてたと思いますが、若い女性が凍りついて動きを止め、ギョッ!!とした目を(あちらもマスク)向けました。《信じられない・・・》という声が伝わってきます。
私は《心配させてごめんなさい。咳をされると怖いですよね》という思いで、ペコリと会釈をしました。そしてその方とすれ違わないように別の棚のほうへ向かいました。
自分は、推奨されていることをやっていてかかってしまったらしょうがない。「かかったらかかっただよね」と思っています。それでもそれを人に言ったら、引かれたので、「かかったらいけないものだ」という考えの人が今は多いのかな、とも思っています。(不用意にこういうことを言ってはいけないんだな・・と反省もしました。自分はそこまでの不安はないけれど、不安に思っている人の気持ちを増幅する必要もない、と)
自分がもしかかったとしたら、病院の人たちにとって負担のないようにすることも決めています。
わたしはCOVID19は心のアンプリファイアーだと思います。もともと、じぶんの心の中にあったパターンがCOVID19をきっかけに拡声器のように反応する。(この記事を見て思いました →「独国境付近で仏人へのコロナヘイト激化」)
もともと、独仏は戦争の歴史です。それは代々語り継がれています。ドイツでもフランスでもそれぞれのおばあちゃん、おじいちゃんから憎しみの歴史を聞いて育っています。そういうことが背景にあります。
その不安、その不信、その恐怖は、今に始まったことではない。ずっとそこにあったこと。そして今がそれらといよいよ向き合う時。
でも、そのことに気づき、そのことに疲れ、「もういいかな、そういうの」って思えば、それこそお互いのバルコニーから歌を歌ったり、拍手をして労ったり、さまざまな工夫により生活に彩りを加えたりするのではないでしょうか。そういう意味でCOVID19(あるいはそのアイディア)はきっかけに過ぎないのかもしれないです。
▼ 普遍的な魂の学びは、実践を通して自分自身の学びとすることにその面白さがあります。
ぜひ、内なる眼差しを持って自らの世界を探求しましょう。
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