「絵」とは
西洋美術館でたくさんの絵を見ていて思ったのは「絵」というものへの意味づけの変遷です。
最初は、ラスコーの洞窟の壁画のように、神への祈り・自然への思いといったおまじない的な意味から始まって、キリスト教など宗教の教えを伝えるもの、あるいは教会の力を示すもの、やがて権力者が自らの存在を示すものとして、上手な画家や自分が思うように描いてくれる画家をかかえて、描かせていたのだろう、たぶん・・。画家という職業も父・子への継承がされていたみたいだし、組合(所属グループ・チーム・派閥)もあった。
やがて実業家たちが財力(お金)を持ち、独自の見立てで、様々な動機で、絵を集め、コレクションをしていくようになって、このあたりからは鑑賞の対象としての意味づけが大きくなっていったのではないか。バブルの頃は投機の意味合いが出てきてだいぶ騒がれていました。
有名なバーンズ・コレクションのバーンズさんは製薬で財を成したそうですし、国立西洋美術館に収蔵されている松方コレクションの松方さんは川崎造船所の社長さんだったそうです。他にも出光美術館、アーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)、三井記念美術館、根津美術館など枚挙にいとまがない。
日本における「絵」に関する意味づけの変遷も、自然への畏れ→神(宗教)への思い→権力者の力の証→実業家の趣味という流れをくんでいるように思いました。三渓園の原三渓も絹貿易で財を築いた実業家で多くの日本画家たちのパトロンでした。
この実業家たちの出現は産業革命(18世紀半ば〜19世紀半ば)がイメージしやすいですが、古くはオランダでも、17世紀にカトリック支配からの独立がきっかけになって、海外貿易が盛んになり、それまでの宗教画から風景画や庶民の風俗画(例えばフェルメール)が好まれるようになっていったようです。
それ以外に、王室・皇室への奉納品・贈答品・戦利品としての意味合い(ルーブル美術館はフランス革命がきっかけ、三の丸尚蔵館は皇室への贈り物が納められている)もあるでしょう。
祈り、誇示、所有物、コレクション、投機、個人の財産、人類の財産、趣味、芸術、癒し、豊かさ、理屈なしに好きなもの、楽しみなどなど、たくさんの意味づけができるなかで、絵というのは心の中にある感覚を楽しむ自由、心象だと今回は思いました。美術館のように広く一般の人たちが楽しめるようになったのは18、19世紀ですが、それは人類全体におとずれる心の時代の開花を象徴しているかのようです。