「私=何か」ではない
パターンは必死に、あらゆるものと同一化し、何かになろうとし、存在しようとしてきました。
上であるワタシ、すごいワタシ、ダメなワタシ、非力なワタシ、特別な体験をしているワタシ、とかとか・・・
そしてパターンはそれらにしがみつき、「自分が上でありたい、そうでないと生きられない!」とまで思います。が、その反対側には「自分は上ではない」「自分は上でなくていい」「上であること=自分ではない」等々があります。
それで、「本当の私」はどうしたいのか? というと、それら反対側にあるパターンを選びたい。
ここで、「私=何か」ではない、という新たな白パターンを思いました。
「私=何か」ではない。感覚的には解放、広がりがあります。
「私」は何かになりたがってはいない、というか・・「私」は何でもない、というか・・
「本当の私」は何かと同一化しようとすることなく、ただただそこにある存在、というふうに思います。