「無視」を通してわかったこと
以前、自分が挨拶した相手が、無視をして通り過ぎる、ということがありました。さすがにパターンが騒いだので、ケアをした上で、一度、勇気をもって「なぜ無視をするのか、私が何かしたのか」本人に聞きました。すると、私に対してだけではなく、たぶん、みんなに対してそうである、という返事でした。
引き続きそのパターンをケアしつつ、選んでいる白パターンは、「自分のパターン(自分の思い通りにして〜とか、自分のことを大切に扱って〜とか)を相手に満たしてもらおうとすることをやめよう。自分を成り立たせるために相手を利用しなくていい。」等です。そういう白パターンを選ぶことで、そうした人がいる環境においても、心に広がりを感じ、イイ感じでいる、ということを実践しています。
あと、もう一つやっていたのは、「そういう人と自分から積極的に関わらなくていい。自分のことを無視する人に自分から挨拶しなくていい。」というものでした。これは、やってみると意外と大変で、頭ではそう思いつつも、自然に挨拶をしてしまうのでした。(ちょっとマヌケな気もしますが、習慣です。)
相手に自分を満たしてもらおうとするパターンが癒やされつつあるので、たとえ相手が挨拶をしなくても別に構わない、ということでもあるのですが、無視をするというのは、これはこれでツライことだとわかりました。「私」としては不自然な行為なんじゃないでしょうか。
それで思ったんです、「私」というのは本来、愛したいんじゃなかろうか、と。
相手がどうであれ、ただ愛することができたら、どんなにいいだろうか。
こうして、この先の目標ができました。