時間をかける
時間をかける、ということについて考えてみました。
時間をかける。時間がかかる。これはそのものを内から見ているか外から見ているかの違い、表現が主体であるか客体であるかの違いですね。
先日の講座のときにも、そんなに長い時間(17年)、何をやっているのかと驚かれ、「非常に地味なワークをやっているんですよ〜」と言ったらさらに唖然とされる、ということが起きました。(もはやネタですね。笑。)
しかし、かくいう私もです、バレエや茶道やお習字など「お稽古事」を長く続けた経験がないので、そもそも「3年はかかる」と聞いて驚いたし、「時間をかける」「時間がかかる」物事をそもそも体験したことがなかったです。
だから、気がついたら17年だったということで、17年かけようとか、何年続けようといった思いはなくて、今では生きている間は、じぶんはこれ(自己探求)を続ける・・・と思っています。
また、一般的には「時間がかかる」のはよくないことで、何でも「早くやる」のがよいこと。動画なども「倍速再生」する。そういう時代です。
時間をかけるって豊かなこと。そこには丁寧さや大事にあつかっている感じがあります。この学びに時間をかけられることは有り難いことでもあります。
ワークの一つ一つも、ゆっくり、たっぷり時間をかけることで、パターンにもよりしみこんでいく、あぁ、聞いてもらってるな、わかってもらってるなって。
わたしは気が急くほうなので、ちゃっちゃとやってしまいがち。なのであえて「ゆっくり」を自分に課します。
自分に「時間をかける」です。