パターンに育てられて
「パターンって、いくつくらいあるんですか〜?」と前回の心のからくりセミナーで質問がありました。
印象では2000〜3000かなと思っていましたが、これまでやってきた「語りかけ」は700程ありました。
そのなかには、他人の言動に引っかかって大爆発したパターンもあるし、何度も何度も再登場するパターンもあるし、ワナワナと怒りに震えたパターンもあります。
悔しさのあまり、裏切りのあまり、プライドをふみにじられたあまり、、、何度、誰もいない部屋で喉がちぎれそうになるほど叫んだことか!!何度、まくらを殴ったことか!!何度、空き箱を蹴り上げたことか!!何度、物を床や壁に投げつけたことか・・・・!!
見てみると「あれが嫌〜、これが嫌〜、こうじゃないと嫌〜〜〜」のオンパレード。パターンが3歳児だというのはホントにそうだと思います。自分の思い通りにならなかったり、自信のなさや無力さを突きつけられることでパターンは傷つき、悲しみ、恐怖を感じ、不安になる。。。
一般的にはそこで、「そうよねー、そんなこと言われたらイヤよねー。みんなそうよ、あなただけじゃないから。何かあったらいつでも話、聞くからね。」となるわけですが、今の私はそこではない。こういう流れで何かを話そうものなら、倍、疲れます。
なぜならば、そこには「自分で引き取る」という観点がないからです。自分が引き取らないと、ずっと誰かのせいにし続けていないといけません。その誰かが変わらない限り、その誰かが自分の思い通りにしてくれない限り、その苦しみは続くのです。
そんなのいやだ! 自分が引き取ることを覚えた私は、そう思います。
この苦しみを引き取ってほしい。痛みを取り除いてほしい。・・・誰かに。
きっと誰もがそう思っている。
でも、、、実は、誰もやってはくれない。自分がやる以外にはない。だってそのために生まれてきているから。それがやりたいことだから。
大事なのは、「どんなパターンが、いくつあるか」でも、「いつまで同じパターンにひっかかっているんだ」でも、「こんなパターンがあるなんて絶対に人に言えない」でもなく、自分の中にあるどんなパターンもお守りできる自分になること。「本当の私」を育てること。
「私」が苦しみに寄り添い、「私」が痛みを昇華する。「私」がパターンとともに生きる。「私」がパターンのリーダーになる。
そういう意味で、「私」はだいぶパターンに育てられています。