欲求段階
あらたまって書くのもなんなんですが、物理的なところでちゃんとやれている(生活ができている)のは有難いことだと思います。
しかし、そこに満足感は憶えておらず、むしろ自分の関心は精神性の向上にあって、ちゃんと働けていてよかったと思うのも、衣食住に加えて、趣味である自己探求を継続していかれるからです。
肉体があるし衣食住も必要だから物理的な世界で生きていますが、そこにいつつも、精神性を上げていきたい思いがフツフツと湧き上がります。実際に、物理的な世界は精神性を上げていくための体験をする修練の場として活用しています。
マズローの欲求段階説を今あらためて見ると、ひとはそれぞれの欲求段階が満たされたり、満たされなかったりしながら、その都度自分と向き合い、その欲求への執着から自由になって、上へ上へと誘われていくように思います。
そういう人間の飽くなき欲求が、図として可視化されているって考えてみたら面白いです。
いわゆる「ちゃんとやれている」というのは物質的欲求(生理的欲求・安全の欲求)が満たされた状態で、ある程度、生存していかれるような状態だと思います。その上に、精神的欲求(所属と愛の欲求・承認欲求・自己実現欲求)の追求が続きますが、ここは社会における自分自身のありようを追求していく段階で、「自己実現」まではまだ他者が存在している感じがします。そしてその上の「自己超越」からは自己も他者も消え、非社会的な自己存在を探求していく段階なのかなと思います。
ただ、これらの段階は、くっきりステップアップしていくというより、ふんわりと包摂的に進んでいくものだと思います。
面白いです。