自分の人生を他人に懸けない
そういえば最近、自分の中に占める他人というもののサイズが小さくなったように思います。以前、パターンで生きていた頃は、自分のパターンが主張する存在感がものすごくて自分というものがドデカいものであってほしかったし、そういう「すごい自分」の周りにいる人たちもものすごい人たちだと思っていたし、パターンとしては周りの人たちがすごくあってほしかったです。
パターンて本当に物事を大袈裟にとらえるので、なんでもすごくないとダメだし、すごい人たちと一緒にいられる自分はすごいんだと思うことで、なんとか生きられていた時期がありました。ある意味、自分の人生を他人に懸けてましたね。他人のせいにもするんだけど、懸けてもいたと思います。
今が季節の、ここに咲いている秋明菊は、隣の花壇に咲いているバラを見て、あのバラのように生きたいとは思っていないでしょう。私はバラっぽいからイケてる、バラっぽいから咲いていられるとはこれっぽっちも思っていないでしょう。
秋明菊は秋明菊をひたすら生きています。
ということで、マーガレットはマーガレットをひたすら生きます(笑)