成す(茄子じゃなくてね)って?
成せていない自分はダメだというパターンに出てくる、成す(茄子じゃなくてね)って?
考えてみました。
成すとは、一般的に、承認、到達(アチーブメント)、評価、お金(財産)、権力、名誉などの、目に見えるもの、他人が見てわかるもの、などだと思います。どこか、獲得する、手に入れる、そういった感覚があります。それらは中立のワークではマイナスの意味づけになるでしょう。
一方で、プラスの意味づけは?と考えると、目覚めて生きていること、このままの自分を認められていること、魂の望むあり方をしていること、自分のパイプを生き切ること、人には見えないもの、人が見てもわからないもの、などが考えられます。「手に入れる」というよりは、胸のあたりにそれを創り出すような感覚か?と思います。
そのプラスとマイナスの間にある意味づけとしては、ひとつの状態、ずっとではない一瞬一瞬のあり方、人による、絶対はない、などがあるでしょうか。
やはり、「物質的な何か」というよりも、ひとつの「在り方」として意味付けてみています。
今日も、人を愛せる自分であるために。
人を愛せたらどんなにいいだろう・・・・を胸に、行ってきます!