深刻に、大袈裟に捉えているのは誰?
パターンは放っておくと人格化するという話。
これは本当だと思います。私とパターンの関係もやはりそうだっと思います。
私は「自分は上だ」という大きなパターンがあって、ずっとそのように生きてきました。そのパターンは、周りから、「上」(すぐれている、すごい、特別など)として扱われないと不満を爆発させます。
そのパターンをケアしながら感じていたのは、物事をいちいち大袈裟に捉える自身の傾向です。自分はすごい人間だから、起きる問題だってすごいのだ、と思ってる、ということに気がつきました。ついでに引っかかり方も大袈裟になる。→ここは人格化している証ですね。
自分はすごい人間だから抱える問題もそこらへんの人たちとは違ってすごいんだ、みたいな感じです。そこらの人には理解できない、難解な問題なんだ、私の問題は非常に大きいのだ、簡単に解決されてたまるか、とか。つまり、簡単で誰にでもある凡庸な問題であることをパターンのプライドが許さないのです。
パターンは物事を深刻にとらえる傾向がありますが、それも、こういうことかもしれません。自分は、パターンが思っているような大した人間ではないと知っていたら、全然違う捉え方になると思います。もっと軽くなる。自分を取り巻く物事も、大したことない、一つのパターン、一つの体験、くらいのことでしょう。
パターンと向き合う時も徐々に淡々と取り組むようになっていきましたが、それは、「自分は上だ」というパターンが癒やされていくうちに、他のパターンと向き合う時のスタンスも落ち着いてきて、それほどのこととして大袈裟に捉えなくなった、ということのように思います。
そういう意味ではパターンて怖いです。でも放っておかず、「本当の私」を大きく育てながら、ケアしていけば、そんな無意識な状態からは離れられます。