階段の上からの目線、、、
昨晩の日記に書いた、階段の下と上の話で、それぞれの領域にあるものをリストアップすることができるという、このこと自体がすごいことだと思いました。
特に下の領域(いわゆる娑婆)で「価値があるもの」は、無意識にそれを追い求めている最中はなかなかそれを認められない気がします。ほんの少しそこから離れているから、それに対してその真逆があることをわかっているから、本当はそれではないともう十分に体験しているからこそ、挙げられる。
パターンについても、自分自身がほんの少しでもパターンよりも上の領域にいなければ(つまり「私」が相応に育っていなければ)、パターンに気づけないし、向き合うこともできないと思います。パターンもまた、「価値があるもの」として階段の下の領域に広がっていますね。
最近感じることは、階段の上にいるとその下ににいる人たちの心の様子がよくわかるということです。なぜならばそれは自分が体験してきたことだから。無意識に体験してきたことに対して意識的であることで、自分の中にもそれがあることに気づいているから。
階段の上からの目線で「よくわかる」という時に胸にあるのは、いわゆる「上から目線」の優越感や達成感などではなく、安心感・穏やかさ・落ち着きであり、共感、「そうだよね」です。
「私」がそれを見ているのだと思います。