誰に対して「語りかけ」ているか
何かを読み聞かせたり、朗読したりするとき、それを「誰に対してやるのか」を設定してから読む、ということを何回かやってみました。
例えば、1ヶ月間昏睡状態だった人がひさしぶりに聴く日本語という設定。そこにそういう人がいることをイメージして読んでみると、ことばの一つ一つを丁寧に口から出したくなります。「ことば」ではなく「ことのは」と言い換えたくなるような気持ちになる。
それで、「そうか!!」と思って、「語りかけ」もそれをやってみています。黒パターンがどんな状態かを感じたうえで行う「語りかけ」です。「語りかけ」を誰に対してやるのか、その設定を明確にしたということです。当然、黒パターンなんですが、その黒パターンがどんな状態かという部分。
私は今までこの部分がちょっと足りていなかったです。
ああ、すごく傷ついているんだなーとか、誰もなぐさめてくれなくて寂しい思いをしているんだなーとか、落ち込んじゃっているんだなーとか、黒パターンが引っかかった時の状態を思い起こして、黒パターンから出された感覚的なもの(ズキズキとか、グサッと、チクチクとか)をさらりとひろって(あんまりどっぷりとそこには浸からないで)、それから、「そうだよね・・・」とその黒パターンに語ってあげる。
こうすると、語りかけの主体である「私」も明確になるようで、いいと思いました。
黒パターンに寄り添うように、しかし同調することなく、「私」が語る「語りかけ」。奥が深いです。