誰かの一言が重みを持つのはなぜか。
お店のクチコミサイトやSNSなど、匿名・偽名での書き込みがあたりまえに行われている世の中ですが、そういうリアルかどうかもわからない、真偽が不明で発言に責任がないものが大きく広がるのは、一般的に私たちが「他人にどう思われるか」、他人を気にして生きているからではないか、と思いました。
そういう気持ち(パターン)がなければそこに「炎上」は起こらないと思うんです。誰かの一言、誰だかわからない人の一言がそこまで重みを持つのは一体、なぜなのか。誰かの言葉をそこまで重要視するのはなぜなのか。
言ってしまえばそこにあるのはパターンとパターンとのぶつかりあいで、パターン=自分と思っているから、その立場を守ろうとするあまり、ヒートアップするのかと思います。でも、それって、どこの誰かもわからない、直接は知らない人たちが大半なんですよね。これが、何とも滑稽だし、愚かしく思えます。
また、パターンについて無意識であると、ひとの心って簡単に利用されてしまう(manipulate、操作される)とも思いました。
匿名の投稿などは、こういう習性を利用して人の不安をあおり、人の心をどこかへ向かわせるべく操作しようとしているのだと思います。火に油を注いでいるわけです。TWITTER(X)などはそれがお金儲けにつながる仕組みのようで、ビジネスになっているのでなおさらかもしれません。
外部情報にそこまで振り回されずにいたいものです。そのために、まずは自分のパターンに気づいておくことが賢明です。
そして、自分自身はどうあるのか、自分の哲学も持っていたいです。