自由へ解き放とう。
もしかしたら、、、という白パターンを唱えるというのは、すべてが解き放たれている「本来の場所」に、自分も他人も戻してあげているんだな・・・と思いました。
「あげている」っていうのがちょっと違う気もしますが。だって、パターンが勝手に「本来の場所」ではないところに持っていっちゃっているからね、、、「私」がそれを許してきちゃったということなのだけれども。
例えば、「自分は上だ」というパターンでは本来の自分の位置ではない場所にわざわざ自分を持っていっているし、「(他人に)認めてほしい」というパターンではたくさんある他人の行動オプションからただひとつ「自分のことを認めてほしい」と注文しています。
そのようにして自分自身も、他人のことも、「自由」にはさせず、パターンの思い通りにしたくて、自分のパターンの都合の良いところへとわざわざ連れて行っているわけです。
しかし、今、われわれはパターンというものを知っており、それと共に生きるなかで、「本当の私」を使いながら、自由へと帰っていっている途中なのだと思います。
もしかしたら、、、で自他を「決めつけ」から自由へ解き放とう。