ふんわり。
私は、自分がすごく恵まれていると思います。
世の中、本当に大変なことだらけなのに、自分は衣食住、安定した生活が送れていて、必要なもの・欲しいものは普通に買うことができて、好きなことも勉強できてというように、タワマンに住んでハイファッションに身を包んで自家用飛行機で世界中旅行してとか(笑)、もともと高望みをしていないからかもしれませんが、日々をありがたく生きています。
きっとここがあるから、意識レベルの向上とか、魂の成長といった精神的なテーマを探求できるんだと思います。
ただ、そこには落とし穴があって、満足のいく生活を送っているということは、つまり物質的に満たされていますということで、その満たし方に慣れていると、「意識レベルの向上」とか「魂の成長」といった精神的なテーマをも、物質的に追求してしまう〜と思いました。
バレエレッスンについても、レッスンを受ける(物質的に増やす)、受けない(物質的に減らす)というふうに動いていて、頭では「バランス」「匙加減」とわかってはいるんだけれども、精神的なところでの理解は追い付いていません。
そもそも、レッスンを始めたり、増やしたりした理由は、バレエの芸術性に触れる、精神性を高めるといった目的があり、そのために壁を壊し、さらなる精神性を求めているわけで、やはりそれも物質的に捉えています。もう一つの例として「バレエは意識レベルの数値が高い」という情報があって、これもまた、精神性を「数量」という物質で捉えているのです。
そうやって、精神的な世界を物資界の延長線上に捉えているのですが、しかし、精神の発展というのは、物質レベルの満足が土台にあるものの、それ本体ではありません。
では、物資界に生きながらも、精神的な成長を遂げていくためにはどうしたらいいのでしょうか?
それは、物事を物質的に捉えないことではないか?という仮説を今の私は考えています。
長くなったので、具体的なアイディアは明日の日記で書きたいと思います。