理不尽な思いは、正しさのパターン

理不尽な思いは、正しさのパターン

2025年02月12日 08:12

理不尽なことをされたり、言われたりして、嫌な思いをしたときのことを考えていました。それで、「理不尽」について、これは「正しさ」からくるものなんだと気がつきました。

「理不尽」なことをされて嫌な思いをしているのは「自分は正しい」というパターンです。「私は絶対だ」とも思っているし、「自分は正しくやっているのだから受け入れない相手がおかしい」とも思っています。パターンとしては自信があるんです。「自分が法律だ」みたいな。「物事には道理がある」という信念のパターンもそうです。道理=正しさです。

このパターンは、でも、微妙で、なんらかの言動をするときには「自分は正しい!」と言葉通りに表明することはほとんどない気がします。実際にはむしろ小さな声で「これで合ってる?」「これは、こういうことだよね…」「これでいいんだよね?」と、明記されている規定や社会のルールのような枠組みに沿って、小さく確認しながら行うことのほうが日常生活では多いと思います。

そういうことに則って段取りを踏んでいるのに、取り合ってもらえなかったり、たらい回しにされたり、道理に合わないことをされたり、という時に「私はちゃんとやっているのに!」と「自分は正しい」パターンが盛大に引っかかるのです。

「ちゃんと」とあるように、「ちゃんとしなさい!」「正しくあれ!」という教育を受けていることもあり、このパターンはかなり強いと思います。

何かミスをした時に、「ほら、ちゃんとしないからよ!」と怒られることはあるし、こちらとしては、最初からそうなるとわかってやっているわけではなくて、「これで、ほぼほぼ、合っているだろう」と思ってやっていることなので、いかに「ちゃんと呪縛」が張り巡らされているかがわかります。

ということで、「自分は正しい」パターンにちゃんと救いの手を伸ばします!!