無意識のうちに
無意識のうちに人を「まともさ」で判断している?と、ふと思いました。
「まともさ」というのは、常識とか良識とか、「人として〜」みたいなところとか、普通はこうだ、、みたいな、自分自身の「正しさ」を無意識のうちに抱いているなぁ、と思ったんです。
で、それは、この人はまともだなというような、なんとな〜くの感覚的な判断をすることで、自分自身が安心していられるからなんだな、と思いました。
それが度を超すと、それこそパターンとして「こうあるべきでしょ?!」と、他人のあり方や生き方をジャッジするし、はたまた、「え?」と驚く出来事があれば「そんなとんでもないことする人なの?」と、パターンが「裏切られた」ことになります。
平たく言うと、他人のあり方が気になるのは自分自身の安心のためで、勝手に他人を判断し、安心しているということです。
それで、そういえば以前の私は自分の上司に対して、「こうあるべきでしょ?!」とかなり強く思っていたなーと思い出したんです。
ということは、当時はパターンが不安だったんだと思います。思い通りでない他人に安心できなかった。
ただ最近は、それがさほど気にならなくなって、たまに「え?それってどーなの?」と他人のあり方について驚くことはあっても、そのことで頭にきたり、不安になったり、イライラするまでではない自分がいます。
「他人のあり方」よりも「自分のあり方」。自分のあり方に意識を向けるようになって、少しずつ、他人のあり方に左右されない自分になってきているのかもしれないです。