平和の祈り

平和の祈り

2025年04月22日 07:47

ローマ教皇がお亡くなりになりました。苦しそうでしたが、復活祭ではベランダに出てきておことばを述べられていたので、なんとかそこだけはという気持ちでいらしたのでしょうか。ご冥福をお祈りします。

先代の教皇が引退され、「コンクラーベ」でなかなか新しい教皇が決まらなかった記憶があります。そうして、やっと選ばれた教皇は、アッシジの聖フランチェスコのように、貧しい人とともにあることを大事にされて、自身も慎ましやかな生活を送り、確か、黄金のバスタブなどを自宅に備えていた贅沢三昧の教会幹部たちを追放しました。

アッシジの聖フランチェスコは心優しく、彼が歩いていると周りに小鳥や動物が集まってくる(ちょっとお釈迦様みたいな)イメージがあります。

すると、このようなピアノ作品を見つけました。
「小鳥に説教するアッシジの聖フランシス(伝説 S.175-1)」(リスト)

本当に小鳥のさえずりのような音色です。
ゆっくりと小鳥たちに語りかけているような場面も浮かびます。

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「フランシスコの平和の祈り」(Wikipediaより)

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。

憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信頼を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。

主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、
愛されるよりも愛することを求めさせてください。

なぜならば、与えることで人は受け取り、
忘れられることで人は見出し、許すことで人は許され、
死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。

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よく知られているこのお祈りの、最後の部分が心にしみ入ります。

ここから浮かび上がってくるのは…
ガツガツむさぼり受け取ることばかりしている「他を利用する」パターン
己の業績や名前を残すことばかりを考えている「信頼と実績」のパターン
絶対、許さん!と他人をいつまでも糾弾する「自分は正しい」というパターン

向き合うべきパターンと向き合い、
慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛する。
他を利用しない自分でありたい。

自分への責務として、先ず自分自身の心を平和にして、
世の平和へ加担して生きていきたい。

そのようにあらためて思います。