問いと答え
先生から「自分が成していることは何か?」を問いかけられ、そのことをずっと考えていた時に、はじめは「自分は何も成せていない」というパターンと向き合い始めたところだったので、考えてもまったくわかりませんでした。
いやいや、だって、自分は何も成せていないんだから、、、、と堂々巡りになってしまって。そこから、その問いを「どう考えればよいのか」を考え始めました。この方法は自分がこれまでに慣れ親しんできた思考回路でした。試験問題を見て、この問題は何を問うているのかを考えるとか、なぜこの人はこれを自分に問うのかを考える、というようなことです。
「あなたは、問いを投げかけた相手が何を望んでいるのか、解答としてどのようなものを求めているのかを考える傾向がある」と、先生からは言われました。そーです、ほんとーにその通りです。ずっとそうやってきています(いました)。
「そうではなくて、自分が成していることは何かを考えなさい。」と改めて言われて、その問いをそのまま受け止め、わからないまま、時を過ごしました。
いま、これを書いていて思ったのですが、私は「わからないということが苦痛」なんですね。パターンです。
今日では、何か知りたければすぐ google です。でもさすがに「自分が成していることは何か」は検索しませんでした。ChatGPT にもたずねなかったです(笑)たとえ検索したとしても、出される答えは黒パターン的な「そうではないもの」であろうことは容易に想像できます。
このことから、「すぐにわかる」というのは「思考的」で、知識情報ベースのような気がします。
自分で考える。だけど、すぐにわからなくていい。このスタンスでいきたいなーーー。
自分はすでに成せていたとわかったのも、ふとした何気ない瞬間でしたから。