どうありたいか?
「どうありたいのか」ということについてクラスで学んでいた時に、実際に「めんどくさいなー」と思っていることがあったので、それについてどうありたいかを自問してみました。
そうすると「誠実でありたい」と胸のあたりに感じました。なので、誠実に取り組もうということで、ありたい自分をそのままやることにしました。
このとき、「できる・できない」はないでしょう?という先生の一言もあって、確かにそれはないことを自分の中にも認めました。
それでクラス後の週末の朝、目が覚める時に「これがもしかしたら階段を上がるということなのかも・・・??」と思ったんです。なぜならば「できるのは価値がある・できないのは価値がない」という価値のパターンを超えた(そこではない)行動だからです。
実際、誠実な取り組みにはこまごまとした障壁もあります。でも、誠実にやると決めた自分の心は、まっしぐらな、ただ「やる」という感覚しかなく、重さがない淡々としたもの。「めんどくさいなー」はどこかへ霧散しました。
日常生活で直面する様々なことについてどうありたいか? そこから逃げたいか、逃げずに向き合いたいか。という場面に出くわすことがあります。また、そこまではっきりしていないものもあります。
その時々で自分がどうありたいか。そこに忠実に生きたい。