その体験は誰がしているのか
今、その体験は誰がしているのか(もしくは、していたのか)。ここに目を向けています。
例えば、厳しい母親に育てられた体験。それは、「やさしいお母さんがいい」という理想の母親を求めるパターンがした体験だったのではないか。
だとしたら、「厳しい母親に育てられた」のはパターンが思っていることで、パターンの記憶です。
さらに、厳しい母親に育てられた体験から、自分が何がしたいのかわからなくなりました。が、これも、パターンがそう思っているのであって、「本当の私」はそう思ってはいない。
自分が「事実」と思っていることは「パターンの記憶」である可能性が大きい。パターンの見る目は屈折しているので、物事を受け止めるときも歪んだまま受け止めます。パターンの正当性が保たれるように受け止めるのです。
自分が事実だと思っていること、実際にそうだ、と思っていることが、なんだか怪しくなってきた今日この頃です。