「評価」から「貢献」へ

「評価」から「貢献」へ

2021年11月15日 08:26

正当に評価されたいとか、できる人間は評価されて当然だといったパターンが暴れ、強い「不当感」を感じ、それらのパターンと向き合い、語りかけをしています。
正当ってなんだろう?と考えてみれば、そこには絶対こうというものはなく、人によって違うし、万人にとっての正当って存在しないことがわかります。正当をふりかざすと諍いが起こるし、そもそも誰が決めるの?という問題もあって、公平・平等どちらに軸足を置くのかでも変わってきます。未成熟な社会ではたぶん平等から始まって、だんだん公平へと移り、また平等基準で見直し、再び公平へと移る、そのなかでそれが正当かどうかを検討する、そんなことも考えたりします。
パターンの言い分に「能力が高い、できる人間は生産性が高く、貢献度も高い。したがって高く評価されるのが当然だ」というものが出てきます。そこで「貢献度」について考えました。
すると、どうでしょう。貢献度について考えてみると、人はそれぞれ、各自の持ち場において一生懸命に貢献していることがわかります。物差しで測れるものではない。そう考えてみると、自分は自分のできる貢献を精一杯する。そうすることで他と比較しようのないものを平等軸で比較して優劣を決めたり、万人にとっての正当性というものがないなかで正当性を追求していったりするところに自分の身を置かなくなります。そうすると、そういう苦しさに飲み込まれて爆発する不当感も、不思議と湧き上がって来ず、何よりも、「精一杯、貢献しよう」という想いは、胸のあたりがあたたかく、やわらかくなり、とてもいい感じがするのです。公平軸であるようにも思います。
これは今朝の洞察の発見でした。
さー、今日から、新たな1週間の始まりです。精一杯、貢献していきます!