「社会性」というゆりかご

「社会性」というゆりかご

2024年05月14日 08:01

私が根底に感じている恐怖、かつ課題は、「社会性」というゆりかごから一歩踏み出し、自分の足で立つことにあります。

それくらい、普通に社会性のある人間として生きてきています。わざわざ書くまでもなく、多くの人たちはこのように生きてきているものかと思います。

普通に学校へ行き、大学へ行き、企業に就職し、会社員として生きる。途中、海外へ行ったり、転職したりはありましたが、それでもやっぱり「社会性」の中で、それを利用して上手く生きてきたほうだと思います。ゆりかごは、国や人種問わず、人間全体を抱えています。

私の「社会性」の背景として、私はサラリーマンの家庭に育っています。社会人経験という意味では父も母も会社員でした。父の父は技術分野の指導者だったそうですし、母の父は会社員です。当然、私の両親も自分のこども(私)を、その「ゆりかご」の中で育てること以外、考えられなかったことでしょう。

「社会性」というゆりかごの特徴として、他人から認められていることをやる、ということがあります。そうやって社会は回っています。

例えば、よくあるシーンで、家族に「こういうことをやりたいと思ってるんだ〜」と相談して、「そんなんでどうやって生きていくんだ」と言われたりすることがありますが、このように、社会の最小単位である家族に相談する時点で、社会との一貫性を通そうとしていることがわかります。これを社会全体でやっていることになります。

社会性というゆりかごには無難・安全性・ルール・法や制度で守られるといった安心感、保身があり、反面、権利主張や甘えもあります。

それでは、十分に社会性を身につけ、ゆりかごの中でずーっとやってきて、なぜ今それが「課題」となるのか。

それは、本来、持って生まれてきた魂を成長させたいという思いを成就するために、必須の「壁」となるから、だと思います。

 

自ら超えるための「壁」を、自らここまでつくってきた。

高さといい、厚さといい、申し分ない。ほどよい「壁」です。

 

魂がやりたいこと、魂の目的をやり遂げるために、十分な社会性とそこでのたくさんの経験が私には必須だったんだと思います。

これが自分自身がセッティングしたプログラムだったか!と思います。